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ブックマーク代わりのブログ

花粉症の季節

花粉症の季節到来!!

でも、北海道は花粉はまだかな。

今は、花粉より雪どけ後の特有のほこりと冬の間滑り止めのために

まいた砂(極小石)の残骸が気になる時期です。

滑り止めの砂は、人海戦術で集められます。

(大きな道路はいや小さな道路もか、公共事業です。)

集めた砂はまた来シーズン使用するのかしらんと思いながら

収集現場を眺めています。

幸い、花粉症ではないのですが、花粉症も含めてアレルギーは、

辛いものです。

自分も、軽いほこりアレルギーがあり、黒い場所にうっすらほこり

が見えるとそれに反応して咳やくしゃみが出ることがときたま

あります。

 アレルギーと多少関係あるのかも知れませんが、器官に爆弾を

かかえているような時期もありました。

喘息検査しても先生の思惑通りに「黒」とはならなくて、

喘息一歩手前の判断となります。

いつも気管のあたりがザワザワして嫌な感じだったのですが、

最近は平常に過ごしてますが、風邪を引いたら一発で炎症して

病院にスットンで行く羽目におちいりますが・・・。

 

アレルギーを薬で治すのもいいですが、長い目で考えると

やはり体質改善がベストかと。。。

 

このような方法もありました。↓

 

 

 

【アレルギーを改善】体内に溜まった毒素を排出するデトックススープの作り方 | ケンカツ!

 

 

 

 

食べるということ

乗り込んだ地下鉄の車両の広告は日本ハム一色で、「食べること」をテーマに

ファイターズの栗山監督や選手が、色々なキャッチで写っているポスターでした。

あの公告、北海道限定?かな。

 

最近「食べること」が自分のテーマになりつつありまして、そこにそんな

ポスターが目に飛び込んできたので、見入ってしまいました。

 

そんでもって、「食べること」で検索してみると、自然食品、有機、滋味、

ダイエット関係のサイトに多くぶつかり、意図していたものとは異なりました。

 

「食べること」はとても大切ですが、大切なだけに正しく食べることは

とても面倒でもあります。

食べることはすなわち個人的に毎日の食卓と考えます。

 

子供の頃の我が家の味噌汁の出汁は、煮干しと昆布。

夕げの後片付けが終わったガスレンジの上には必ず煮干しと昆布が

鍋の中の湖で明日の朝のためにスタンバッテいました。

 

身体が弱くて好き嫌いが激しくアレルギー持ちだった私に母はよく

鶏がらのスープを作ってあたえてくれました。

玉ねぎ、にんじん、長ねぎなどなどの野菜と一緒に煮込んだ鶏がらスープは

そのままでも、塩を少し入れてもそれはそれはおいしくて、

今でもよーく覚えています。

手作りチャーシューと、そのスープで作ったラーメンは最高のごちそう

でした。

串鳥でサービスの鶏がらスープが出てきたときは、子供の頃を思い出して

一人感慨深いものがありました。しかーし、母のスープには到底敵わない。

※串鳥/札幌の焼き鳥チェーン

 

子供の頃は、コンビニなんてもちろんなかったですし、スーパーには

惣菜売場の存在すら無い時代、唯一近所の商店で揚げていたコロッケを

食べるのが楽しみでした。

そのかわり、家庭の本物の食事で育つことができました。

 

 店に売っていないので作るしかなかったのですが、良き時代に

育ったといまさらながら母親に心から感謝しています。

実家は事業を営んでいましたから、毎日一から作るので、大忙しです。

大晦日も、年が明けるまで台所でおせち料理を作っていました。

昔のお母さんは、寝る以外は座る暇なんて無いぐらい働いていました。

  

子供達の個食や、栄養不足のニュースを見るたびに気持ちがざわつきます。

決して豊かではない時代に育った世代ですが、食卓は荒れていなかった。

赤ちゃんの時、目を離している時に飲み込んでしまわぬように

大きなだし昆布を持たせておしゃぶり代わりにしていたそうで、

これぞ花丸ものの食育です。

おかずの品数は少なかったけれど、正しい食事を毎日食べて育ちました。

毎日の食事は、ごちそうとは、次元が違うものです。

もっと「食べるということ」を大切に扱ってほしい。

 

 

 

 

www.olive-hitomawashi.com

 

 

 

 

 

 

 

ホシノタニ団地

北欧からはじまった「コレクティブハウス」。

母が75歳ぐらいを過ぎた頃から、ずっと考えていた理想の住まい方でした。

せっかく一緒に暮らしても、高齢の親を残し、朝出かけて行ったら

夜まで帰宅できない娘と暮らして何が幸せだろうか。

ならば、周りの皆さんに助けてもらえるような環境を作ればいいのかという

のが発想の原点でした。

その頃の日本社会は、近所付き合いなんて面倒くさいという風潮がまだ色濃く、

他人が協同する住まい方なんてはじかれる空気感でした。

そんな社会の変化のきっかけは、東日本大震災だったのではないかと思えて

なりません。

ひとは一人では生きていけない事に気づき、「つながる」という概念が

震災により復活したように思います。

「地域」というキーワードが多くなってきたのも震災後だったように

記憶します。

戦後七十数年あまりが経過し、戦後をただただ突っ走ってきたこの社会に

クギをさすかのような自然災害で、福島原発はその象徴にも映ります。

100年前の大地震後に後世のために建てられた石碑に彫られた

「これより下に住むべからず」の文字を見た時、ひとは時間が経過すると

痛みを忘れ先人の教えを無視したための悲劇だったのではないのか。

気づきのための代償はあまりにも大きすぎましたが、

ある意味では本当の戦後をむかえ、ダイアル「ゼロ」になった気が

しました。 

これからどんな社会になっていくは全く不透明です。

当たり前の様にあった仕事が時代の波により姿を消しつつ

あります。

個人がコンピューターを携帯し、AIがひとに打ってかわって

仕事を奪う勢いが加速していますが、所詮そこにいるのは人で

しかありません。

人と人が当たり前につながり、自然環境を守り、子供を育みながら

多様化する人間模様の偏見を無くし、おおからにつつみこむような

社会基盤づくりがすすんで欲しいと願います。

 

www.odakyu-fudosan.co.jp

2018年1月18日木曜日 番外編

2018年も2週間以上が過ぎてしまいました。

年末からの風邪を引きずり、おまけに足の甲にやけど。

どうも不穏の平成30年です。

 

やけどは、レトルトカレーをお湯で温めようと鍋にポイっと入れたら、

ピョンと湯滴が毛糸の靴下をいとも簡単に抜けて左足甲の上に。

「アッチー!!」

 

そりゃそうです。熱湯です。落ちてくる間に多少温度が低くなったとしても

熱湯です。小さな一滴といえど、熱湯です。

 

キッチンではスリッパをはいているのに、こんな時に限って

毛糸の靴下とは・・・。

 

小さな一滴で皮膚は赤くなり、まぁ痛いこと。

すぐ、冷やすべきところ、水があまりにも冷たくて、躊躇していたら、

どんどんズキズキしてきたので、覚悟して冷やすこと、わずか10秒。

これが限界でした。

考えてみたら氷でやけどの部分だけ冷やせばいいだけなのにね。

 やけどしたのが、8日で今日が10日目。

いまだに傷口がかわかないので、ちょっと不安になってきました。

 

よくよく見てみると、皮膚の何層目かまでやけどしている感じなのよね。

やけど面積が広かったら結構の重傷なんじゃない、とか思います。

初動が安易すぎた。もっとちゃんと手当してあげればよかった。

 

大概のやけどは、自然治癒させてきたんだけれど、

今回は薬塗った方がいいのかしらんね。

 

オロナイン軟膏買って帰ろうかな。ショボン。。。

 

 

 

 

 

 

 

くらし

しかし、ありがたいのか煩雑なのかよくわかりませんが、

くらしに役立つサイトは山ほどありますね。

どのサイトを選んで参考にするかは個人の自由で、相性にも

左右されると思いますが、情報の確実性も大切です。

ただ今レシピを研究しているのでくらしサイト系にアクセスする

頻度が多くなっています。

どこかにメモしておかないと忘れてしまうんですよね。

 

 

kurashinista.jp

 

ブックマーク

ひょんなことから、作物を栽培している方と会う機会がありました。

そこで聞いたのが「規格外野菜」。

もちろん知っていましたが、生の現場の話を聞くとやはり

考えさせられる事がたくさんあると思いました。

そんなこんなで、新しい事業の方向性の輪郭が見えてきたような

気がします。

生みの苦しみから早く解消されたい。今はそんな気分です。

なんせ赤字続きのここ数年。そろそろ手持ち資金も底が見えて

きたところでかなりあせあせしています。

 

事業の輪郭が見えてきたら、今度はよちよち歩きをしながら

手さぐりで少しづつ前に踏み出さなければなりません。

 

これからは農業とか食べ物とか、加工品とかそんな関連の

事業サイトのブックマークが多くなるかと思います。

 

 

 

 

水耕栽培一筋

北海道の函館市七飯という町があります。

 

ちょっと道をそれますが「七飯町」読めますか?

 ふふ、答えは最後に記載いたします!(^^)!

 

さて、この七飯町に「アプレ」という野菜の水耕栽培の会社が

 あります。

 この会社の役員の山根さん。現在は御年43歳ぐらいです(のはず)。

 雪が降る北海道で一年中野菜が作れないかと考えを巡らし20年以上前から、

 水耕栽培を独学で開発したのです。

 

NHKの番組で知ったのですが、その時の記憶が間違っていなければ、

 中学生ぐらいから考えていたとインタビューにこたえていたような

 気がします(間違っていたらごめんなさい)。

 

思いは現実になり、国からの補助金も取り付け見事工場を完成させて、

稼働しています。

 「地元の雇用を守る」。この強い思いが、ここまで導いたのです。

 

アプレの水耕栽培で作れない野菜は無いそうです。

 現に、大手製薬会社と提携し漢方用の薬草も栽培しています。

 

そして、新たに大手企業との水耕栽培のIOT技術の実証実験が

始まっています。

 

原野をただひたすら斧一つで木を倒し、北海道を開拓した先人達と

だぶります。

 

自分が信じる道をブレなく歩める人は本当に素晴らしい。

 そして、地元に還元するという社会的役割も果たしています。

 

アプレがあるところは道南にある本当に小さな町なんですよ。

 (こんな風に書いたら七飯の町民に非難されるかも。)

 そう!!七飯町です。答えは、ななえちょうです。!(^^)!

 

 

 

www.apure.co.jp