学生時代の勉強が本当の意味でいかに大切かが分かるのはかなり年齢を
重ねてからだと思う。
ただし、ちゃーんと勉強していた人には関係の無いお話です。
学生時代は「頭が悪いから」から理解が出来ないと思い込んでいた。
社会人になり勤め人として長年の仕事を通して気づいたことは自分は
それほど理解力が乏しいわけではないということだった。
頭が悪いから理解が出来ないと自己暗示にかかっていただけだったのだ。
学生の頃、勉強の意味が理解できなく興味が湧かなかったからそっぽを
向いていたのだ、きっと。
特に生物、物理系はまったくと言って興味を示さなかった。
生物のDNAやヌクレオチド、それは一体何なんだ。おまけに先生まで苦手
だったから余計にそっぽを向いていた。
物理においては、物質が坂を転がる摩擦力の計算をしなければ
ならないないのは何故なのかとも思った。
でも、物理はきっと一生分からない。これはもう本当に頭に入ってこないのだ。
物理の才能は皆無とみた。まぁ物理が出来なくても生きて行くには困らない。
苦手な分野は得意な誰かにまかせよう!!
ある日、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出会った。いや邂逅したと言っても
大袈裟ではない。もう、はまったはまった。
お陰で本当に歴史の素晴らしさを知った。だってノンフィクションだもの。
ここでやっと歴史がノンフィクションということを理解したといういうことに
なる(馬鹿でしょう!!やっぱり馬鹿なんだよね(^_^;)!!)。
学校教育の基本方針はいかに一人でも多くの生徒に興味を持たせるかが
重要なのである。優秀な生徒ばかりではないのだから。
大学に進学するように家族からさんざん言われたのに、「こんな成績で受かる
分けないでしょ!!」と拒み専門学校へと進んだが、中年に差し掛かった頃に
大学に行かなかったことを心から後悔した時期があった。
夜学に通うことも考えては見たものの果たして何を学びたいのかも分からず、
そのまま時が過ぎた。
ところが、慶応義塾大学の湘南キャンパスのサイトで大学の講座を一般向けに
公開しているのを見つけた。こんなにありがたいことは無かった。
それも探していた内容にたまたまマッチしていたので本当に嬉しかった。
目も脳もかなり衰えていますが、コツコツと知識を積み上げていけそうです。
遅過ぎるという言葉は無いのかも知れません。
慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス
KEIO UNIVERSITY
SFC GLOBAL CAMPUS