旭川の旭山公園。
これまでなかった行動展示で大人気の動物園になりました。
(行動展示という表現は好きじゃないですが。)
旭山動物園の開園は昭和42年でちょうど50年前になります。
昭和42年というと日本が輝いている時代です。
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信田修治郎氏という方がいました。
(いやぁ1911年生まれだから、確認できなかったけれど多分
もう亡くなっているんじゃないかと。)
札幌で剥製を作る会社を創業した方で、その筋では著名人らしい。
現在は2代目に引き継いでいて(当たり前か)、円山動物園の
剥製はその会社で作っているそうです。
円山動物園のことを掘り下げていたら、この信田修治郎氏という方に
邂逅しました。
かいつまんで説明しますと、クル病にかかった象がいたのですが、
この先動物園での飼育は無理ということで、信田氏に象を預けたのが
物語のはじまりです。
象の名前は「花子」。
(しかしどうしてこうも象の名前は「花子」だらけなのか(^_^;))
この花子、旭山動物園の開園にあわせてS41年に北海道入りしたのですが、
やってくるのが少し早かったらしく、札幌の円山動物園で預かり一冬を
過ごしました。その時も既にクル病だったことには気づいていたそうです。
そうして翌年から旭山動物園での生活が始まったものの、クル病は
悪化するばかり、象の身体が重い事も災いしたのかも知れません(私見です)。
飼育を断念した旭山動物園の園長は信田氏に花子を託すことにしたのです。
信田氏は花子を見て、クル病を克服できるのではないかと判断したのです。
そーしてここから壮絶な日々が始まります。
花子は最後をパラグアイでむかえました。
パラグアイと読むと「なんでー」となりませんか?!
すごい物語なのです。でも本当にあった話!!ノンフィクションです。
信田氏が花子とのことを書いた著書があります。
自分もこれから順を追って読みます。
<信田修治郎著>
- 1969年 花子よみがえるクル病の小象-越冬させるまでー
- 1970年 とうとう歩けた病気の小ぞうが雪の国へやってきて
- 1970年 がんばれ花子―雪の中で象を育てた
- 1970年 花子のたび ※1970年発行月順不明
- 1973年 花子との対話-狩場の山ふところで
1970年発行「修ベエ回想記」という著書もありますが、
内容は花子のことじゃないかもしれませんが記載しました。
何でも、読売新聞社の記者が冬の札幌の山奥に象がいることに
驚いて記事に載ったのがきっかけとか。
当時は、随分と新聞を賑わせたようです。
早く、知りたい方は、
ホームページ「南後志をたずねて」に詳細が書いてあります。
このサイト読むだけでも感動もんです。
象も人もリスペクトです。