北欧からはじまった「コレクティブハウス」。
母が75歳ぐらいを過ぎた頃から、ずっと考えていた理想の住まい方でした。
せっかく一緒に暮らしても、高齢の親を残し、朝出かけて行ったら
夜まで帰宅できない娘と暮らして何が幸せだろうか。
ならば、周りの皆さんに助けてもらえるような環境を作ればいいのかという
のが発想の原点でした。
その頃の日本社会は、近所付き合いなんて面倒くさいという風潮がまだ色濃く、
他人が協同する住まい方なんてはじかれる空気感でした。
そんな社会の変化のきっかけは、東日本大震災だったのではないかと思えて
なりません。
ひとは一人では生きていけない事に気づき、「つながる」という概念が
震災により復活したように思います。
「地域」というキーワードが多くなってきたのも震災後だったように
記憶します。
戦後七十数年あまりが経過し、戦後をただただ突っ走ってきたこの社会に
クギをさすかのような自然災害で、福島原発はその象徴にも映ります。
100年前の大地震後に後世のために建てられた石碑に彫られた
「これより下に住むべからず」の文字を見た時、ひとは時間が経過すると
痛みを忘れ先人の教えを無視したための悲劇だったのではないのか。
気づきのための代償はあまりにも大きすぎましたが、
ある意味では本当の戦後をむかえ、ダイアル「ゼロ」になった気が
しました。
これからどんな社会になっていくは全く不透明です。
当たり前の様にあった仕事が時代の波により姿を消しつつ
あります。
個人がコンピューターを携帯し、AIがひとに打ってかわって
仕事を奪う勢いが加速していますが、所詮そこにいるのは人で
しかありません。
人と人が当たり前につながり、自然環境を守り、子供を育みながら
多様化する人間模様の偏見を無くし、おおからにつつみこむような
社会基盤づくりがすすんで欲しいと願います。